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やすこの不思議体験談 その三■

顔の説明の絵/右とか左とかいうのは全て本人の、です

  〜ホントにあったことばかり〜  

ケガした途端逃げた黒雲


町内に出かけるのに自転車で行きます。
30年前のことです。数日前から自転車の後ろに次男をのせるたびに黒い雲が見えるのです。
黒雲は玄関先で既に頭上で待っています。
そして自転車が動くとついてくるのです。長男や三男のときは見えません。その日も次男を自転車の後ろに乗せて出かけました。
家から100メートルくらい離れた、4つ角に来たとき急に自転車が動かなくなりました。
止まって確かめればいいのに、逆にペダルを踏みこみました。
ギャー、という泣き声に慌てて自転車から飛び降りました。
後輪に足がはさまれて、骨が見えていました。
そのとき、付きまとっていた黒雲が風がないのにササー・サーと東へ逃げました。
私たちの事故を見届けて、急いで反対方向へ逃げる感じでした。後には青空が広がっていました。
黒雲の大きさは
2m×6mくらいで、この日の黒雲の高さは2階の屋根くらいの宙でした。

 白い雲に追っかけられる

5年生の次男が「こわいよー」と言って泣きながら家に飛び込んできました。塾が終わり道草をしていると目の前に白い雲が降りてきたそうです。それで逃げて帰ったそうです。次男と私は家中の窓や出入口を大急ぎで閉めました。
直後、私は2階に駆け上がり窓を少し開け見ると、、、長さ3m、高さ2m 大の真っ白い雲が地上から1m 程度ほど浮いて追っかけて来ています。
あわてて窓を閉めました。震える次男を抱きしめること15分、もういいだろうと2階の窓を開け身を乗り出して青い空を見ると、、、、
わが家の真上をものすごい勢いでくるくる回転しています。まるで「逃したか、悔し
い」と言っているようでした。それくらいスピードがありました。屋根上の雲の大きさは畳1枚でしたから相当高いところの空に移っていました。30分後に雲はいませんでした。

生き返った人の話2つ


1.舅の場合、医者が言いました。「今夜がヤマです」一族が見守るなかで舅は目をあけました。
「あぁーワシは夢を見とった。ウチの墓所を探していたら死んだおばぁさんが墓の間から顔出して、帰れいうたから帰った」舅は急に元気になりました。

2.知り合いの娘さんの場合、肺気腫で意識不明になりました。
以下本人の話です。
「自分はとても気持ちよく寝ていた。あまりに気持ちよく眠っているのに、母親が気が狂ったように自分の名前を呼ぶので、それがうるさくて目がさめた」


不思議な縁談


岡山への往復は、いつも高速道路をつかいます。
その日は家に帰るのに一般道を通りたくてたまりませんでした。
車中の家族一同が文句をいいました。が、一般道を走ってもらいました。探していたわけでもないのに金光教と書いた看板が目に入りましたので好奇心で「寄って見て」というと、一同また文句をいいましたが、行きました。
そこは金光教の本部でした。一年後息子はお見合い結婚しました。
結婚後にわかったのですが、妻となった人の叔父が金光教の熱心な信者でした。
金光教の本部に寄り道したとき、私は何者かに引っ張られるような感じでしたが、後にも先にも金光教にお参りしたいとはまったく思いません。

さようなら


妹の夫が「余命ひと月」と宣告されました。

我が家の玄関は引き戸でガラガラと音がします。夜10時ころガラガラと戸が開く音がしました。戸締りしているので空耳と思いました。5分後にまたガラガラと音がしました。
不審に思いながら玄関へいってみましたが異常ありません。
翌朝「亡くなった」と電話がありました。
通夜のとき訊くとその時刻は「わし、もう死ぬで」と言っていたそうです。
義弟は私に挨拶に来てくれたのでしょう。

葬式のとき妹は不思議な体験をしました。
あたたかくてほわーとした気持ちのいい空気に一瞬包まれました。
そして目の前にとても嬉しそうな夫のニコニコ顔があったそうです。
この体験で魂の存在を信じることができて良かったと言います。

我が家の住人


家の中に、誰も居ないはずなのに人の気配を感じるときがあります。
家族の者も同じことをいいます。別に不具合はありませんが不思議ですねぇ。。私は死人の足音を聞いたことがあります。
長男の嫁の私は、12月30日に餅をついて夫の一族に配るのです。
私1人が餅つき機でするので、朝の2時半くらいから午後の4時過ぎまでかかります。
夫の祖母は明治のはじめに生まれた人なので餅つきが大好きでした。
祖母は12月25日に亡くなりました。その年も例年通り30日に餅をつきました。
死人
(祖母)の足音を聞いたのはそのときです。
玄関が開く音はしなかったのですが、玄関から廊下へと足音がして台所の私の頭の上で止まりました。
聞きなれた祖母の足音でした。私は「おばぁさん来たのね」と懐かしい気持ちになりました。


陽の気


長男を産んで
7年間、畑にある物置小屋を改良して住んでいました20坪の狭い家でしたが3人の息子の子育ての環境は安全でした。おしめなど夜軒下に干すとき、ゾゾーとする冷気をいつも感じるのです。
怖かったですが、朝も夜も洗濯に追われていましたから仕方ありません。
私があまりに怖がるので姑が原因
?らしき事を教えてくれました。
この家に沿って湧き水があり溝に流れています。昔は、動物たちが夜になると飲みにやってきていたそうです。
動物だけでなく霊たちも来ていたのではなかろうか・・と。この家の隣りに少し離れて、今の家を建てたのです。こちらは土地から陽気が立ち昇る感じがして嬉しかったです。


自殺霊が引っ張る


娘さんが九州地方の大学に入学し学生寮に入りました。困ったことに夜になると窓側に引きつけられます。
そして窓を開けると飛び降りたくなるのです。
飛び降りたら即死です。夜毎へんな気になることを母親に告げました。
びっくりした母が娘をせかせて大学に部屋替えの相談にいったところ、
「あなたもですか」
「以前、飛び降りた学生がいるのです」ということでした。

 
     歌の恩          

2007年、このホームページが「顔占い」という本になりました。

60才の手習いで始めたパソコンですが、人相を皆様にお伝えしたくてホームページを作りました。説明文に絵や写真をつけるのに悪戦苦闘しました。

ある日、あまりのむつかしさに「作るのはオシマイ」と、やめて投げ出す決心をして寝ました。

その翌朝のことです。夢のなかでメロディが聞こえてきて目が覚めました。
歌の本で調べると、森山良子さんの「この広い野原いっぱい」という歌のメロディでした。
歌詞を読んで驚きました。私の心のなかとそっくりです。歌詞の「赤いリボンの花束にして」のところで「そうだった!人相の知識を花束にしたい」と、あらためて思いました。


夢でメロディを聞いたのは初めてです。でも、この歌のお陰でホームページが継続しそして本になりました。