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やすこの不思議体験談 その二 ■

顔の説明の絵/右とか左とかいうのは全て本人の、です

〜ホントにあったことばかり〜  

ショウガンジへ行け


「ショウガンジへ行け」というわめき声が、右の耳元でして朝目が覚めました。
その声は人間離れした声質で、割れ鐘のような野太い男声でした。
ショウガンジ
?なに?どこ?さっぱり分かりません。実家に帰ったとき母に話しました。
母の顔色が変りました。
ショウガンジというのは、母の妹のお墓があるお寺の名前でした。悦ちゃんが呼んでいるのよ、お参りしておいでと母は言いました。
悦ちゃんが亡くなったとき、私は3人の幼い子を抱え遠方だったので、葬式に行っていないのです。
30年前のことです。このことを思い出すたびに悦ちゃんに会いたくなり胸が熱くなります。


幽霊屋敷


近所にあります。
建築中から見ていたのですが、変な間取りだなぁ、と思っているうちに完成しました。
住む予定だったその家の息子家族は、東京へ転勤で完成前にいなくなりました。
で、貸すことにしたのですが、夜中に赤ん坊の泣き声がするという理由で誰もが1週間以内に出てしまいます。
そんな幽霊話は信じないという人たちも、青くなって出て行きます。
ついに、その家を建てた工務店の社長が家賃無料で管理人として入居しましたがダメでした。
お祓いしてもらってもダメでした。
相場の3分の1の値段で売りに出ました。が、ガイドブックにも幽霊屋敷として出るくらいですから、売れません。
家の周囲はきれいに手入れされ、現在もあります。


正 夢


母亡き後に、一人暮らしをしていた父が癌で入院しました。親戚などへは落ち着いてから何日か後に知らせることにしました。
ところが、入院の小荷物をまだあけない内に母の妹が飛んできました。
今朝の夢枕に母が出てきて父の頭を抱いて「○○さん(母の妹の名前)この人を連れていくよ」といったそうです。


おキツネ


近所に住んでいた霊能者もおまつりしていました。
戦後しばらくの間広島は少し土を掘ると人骨がでる状態だったのです。
そんな状況の中で灰の中から、ダイヤ2コが出てくるか相談した人がいます。
ドンドコ・ドンドコ太鼓をたたいて、おキツネが乗り移った霊能者が、太鼓をたたく棒で相談者を何度も叩きました。
そして「おまえは腐っとるダイヤは返さん」と言いました。
悲鳴で集まった近所の人たちが、霊能者を取り押さえました。


自縛霊と取引


お盆で親戚のお墓参りしました。
親戚の伯父は、霊と話ができたり見えたりする人なのです。伯父さん専用の部屋があって自分の先祖の霊に、「お経が欲しいときにはドアをトントンと2回ノックしなさい」と、言ってあるそうです。
14日の日にドアがトンと1回鳴りました。
「おまえはウチの先祖でないから相手にしない」というと、それまで写っていたテレビが突然消えてしまいました。
伯父さんは、電気技術の資格を持っているので、テレビの修理はお手のものです。
それが、いくらいじってもなおらないので霊に向かって、「お盆だし、ここへ出てきたのも何かの縁だから」といってお経をあげました。
するとまたテレビが写るようになりました。


幽霊には表情が無い  
 
私が人相の奥義である画相というのを 最初に見たのは歪んだ父の顔でした
さらに父の死後2年か3年たって 私は幽霊を初めて見た 幽霊は父でした

誰もいない私の家の中で 本を読んでいると 誰かに見詰められている気がして顔をあげました
3m先に 父の上半身が浮いています

一瞬 私はカッとなりました  赦せないことを聞いていたからです するとかき消すように父は消えました
後で考えると 父の顔は無表情でした
幽霊話をきくたびに 何が言いたかったのだろうと 父を 思うのです

架けていた喪服から足が


義妹は、親から持たせてもらった喪服を一度も着ないうちに当人が亡くなりました。
義妹の喪服を義妹の姉が着ました。葬式のあと、身内だけで雑談していたときのことです。
エモンカケに架けていた、義妹の喪服の裾から2本の足が出ているのを、義弟親子が見つけ、「あっ、足が出ている」と言いました。
みんなも2本の足を見ました。そして改めて涙しました。お茶汲み係の私が行ったときには足は消えていました。
不思議はもう1つありました。仏壇のろうそくの火が15センチくらいも急に高く燃え上がったのです。2度もです。
話はまったく別ですが、義妹はクリスチャンだつたので、教会で葬式をしてほしいと遺言していました。
で、仏式とアーメンと2回葬式をしたのです。


さわらぬ神にたたりなし


昔知り合いの女性からお地蔵さんを置きたいという相談を受けました。彼女の家の近くで交通事故が再々起きるのだそうです。
私は「さわらぬ神に祟りなし」だからしないほうがいい、と言ったのですが、彼女はお地蔵さんを置いて花を供えるようになりました。
そのうち、彼女のご主人が原因不明の病気で両足切断して、ついに死亡。
2年後に彼女も癌で亡くなりました。
私に相談に来た時は夫婦ともピンピンしていたのですよ、怖い話です。


40年前のカメラ


40年前のカメラをずーと放ったらかしにしていました。思い立ってカメラ屋へ持っていきました。何が写っているのでしょう???
「フィルムはダメかもしれません」と、カメラ屋は言います。
できた、たった1枚の白黒写真が生き残りました。40年前の母と私が寄り添っていました。
母はもういないのに、思わず涙がこぼれました。
この10日後のこと妹のゴタゴタが起きて放ってもおけず関わることになりました。


 原爆ドーム

2007年夏、絵を習っていました。広島の原爆ドームを生徒20人で写生しました。
観光地なので人の邪魔にならないよう朝6時集合です。
世界遺産の原爆ドームは雨風にさらされているので30年後に残っているか私は心配しています。

そんな建物ですから薄汚いし、建物内部も暗闇です。それをどのように画こうかと思案して眺めつづけているとき突然朝日が原爆ドームを射しました。
すると、白亜の殿堂のように神々しく変身しました。壊れた内部の剥き出しの鉄骨の1本1本までがくっきりはっきりと見えます。急いで写真を撮りました。撮った数分間後は元の風景に戻っていました。
私は広島人ですから原爆ドームに慣れ親しんでいます。ですが、神々しく輝くのを初めて見ました。神様が上手に画きなさいと見せてくださったような気がしています。